My Guitar Life  early days

My Guitar Life  early days

ギターとの出会い TEEN’s

 

序章:僕にとってギターとは?

 

=音楽活動の原点である
と、言い切れます。

 

まず、それまで和音というものを演奏したことがない。
それまで序章の序章として、ピアニカやカシオトーンを弾くところまで遡れるのですが、それはあくまで単音で話で、和音を弾くことはありませんでした。というか、出来ませんでした。
それを可能にしたのが、ギターだったのです。そこから僕の音楽活動の全てが始まったのです。

 

よく音楽の教科書の最後のページにギターのコード表が載ってますよね。
アレを真似したら弾けるのではないか?と思ったのですが、どの弦がどの音なのか・・・つまりチューニングが書いていないために弾きようがなかったのです。

 

でもギターを弾いてみたい!
そんな思いから「あることを思い出した」んです。

 

そうだ、家の押し入れの中にギターがあったぞ!?
使えるかどうかはわかりませんでしたが、壊れていない限り、何とか音は出るんじゃないか?と思い、かび臭い押し入れの中を開けると、確かに永い眠りについていた、黒いケースに入ったギターがありました。

 

ケースから出してみると思ったよりも鮮やかなボディーのクラシックギターが、そこにありました。
弦は滅茶苦茶に錆びていましたが、音はちゃんと鳴るようです。

 

でも音の合わせ方がわからない・・・つまりチューニングがわかりません。おまけに(当然ですが)弾き方もわからないわけです。

 

これを何とかするには、教則本を読むしかない。そう思い、本屋さんに行きました。この本屋さんで出会った本こそが、僕とギターを繋ぐ聖書・・・バイブルだったのです。

 

 

この本こそが僕の全ての出発点でした。

 

【当時の音楽シーン】と僕のギターとの関係性

 

時は1989年、空前のバンドブームでした。
BOOWY、レベッカ、レッドウォリアーズ、プリンセスプリンセス・・・とにかくバンドだらけでした。
僕が長くギターを続けられた要因の一つに、これらバンドの形でのギターの練習をしなかったことです。

 

つまり「エレキギターによる、演奏法」を学ばなくて良かった、ことです。今思い返すと、先述の教本の横には「ロックギターの弾き方」「世界一簡単なギターの弾き方」なんて本も並んでいたんですが、中をペラペラっと見ると、何が何だか分からない弾き方ばかり書いてあるんです。

 

ペンタトニックスケール、ハーモニックマイナースケール、ライトハンド奏法、クリケット奏法・・・とにかく「スケール」という言葉が多く出ていて、生まれて初めてギター弾く人には難しすぎて、敷居が高すぎたんですね。多分今読めば内容も分かるかもしれませんが(わからないかも・・・)当時の僕にはあまりにも難しすぎそうでした。

 

エレキギターを弾いて初めて一人前のギタリスト、そんな時代だったのかもしれません。今から思うとまだ当時はフォークブーム(ニューミュージック)の名残があって、長渕剛などのアコースティックギターの世界というものは存在していたのですが、当時の僕はとにかく「簡単に」弾けるようになりたい。そういう気持ちが強かったです。

 

さて、その「やさしいギターの弾き方」を買いまして、自宅に戻りました。まずは各部の名称を覚えることから始まり、やはり最重要の「チューニング」をしなくてはなりません。
エレキギターだったらチューニングメーターとか使うところなんでしょうが、そんなものを持っているはずもなく(持っていても使えるはずもない)、どうやってやろうかな?と思って本を読み進めると「5弦の開放弦がA」「Aの音は電話の時報の音と同じ」「A=ラ」ということでした。うちにはピアニカがあったので、それのラの音を使ってチューニングができました。

 

今思うと怖いのは、やはりバンドブームに乗せられていたら、この時点で挫折していたと思います。そもそもエレキギターは触るところがいっぱいあるし、シールドはいるし、ギターアンプもいる。
そんなあやふやな状態でプロのバンドの曲を初めて練習曲に選ぶとか、絶対無理でしたから。「ライトハンド(タッピング)」なんて、いきなり初心者には全く不必要ですよね。

 

そんなスケールの話よりも、まず簡単に音を出す、これが何よりも大事だったわけです。

 

 

何度も何度も聴いて、影響された長渕剛のライブアルバム「LIVE’89」

 

初めて自分の手から弾き出された音

 

「やさしいギターの弾き方」の本によると、とにかく簡単なコードを鳴らすこと、が始め目的でした。それは今でも変わってなくて、難しいコードはググって押さえ方を調べることも出来ますが、当時はもちろんそんな便利なものはなく、本が全てだったのです。

 

初めてのコードは「Am」でした。とにかく理屈抜きで押さえ方を見て、実際に押さえて、右手で鳴らしてみました。

 

ジャラーン!

 

もう、何と言いますか・・・鳥肌が立つほど感動しましたね。自分の力で和音というものを生まれて初めて鳴らした瞬間というのは、今でもその感覚と感動は忘れません。
Amなんて暗い音の響きなのですが、その音が良かったのと、非常に押さえやすかったですね。人差し指が2弦、4弦が中指、3編が薬指、とても自然な指使いだったと思います。「やさしいギターの弾き方」は伊達ではなかったですね。

 

次に覚えたのは「Em」でした。これも簡単なコードのひとつですね。

 

ジャラーン!

 

もうね、感動が2連チャンですよ。ちゃんと自分の手から和音が鳴っている。それもこれといった難しい技術もなく・・・
とにかく最初のレッスンはこのふたつのコードを途切れることなくコードチェンジしながら弾き続ける、ことでした。

 

簡単とは言っても一定のリズムでAmとEmを行ったり来たりするのは、案外難しいものでした。教本にも「最初はゆっくりでいいですよ」と書かれており、この言葉にも救われましたね。いきなりあれやれこれやれと追われても、やはり挫折の原因になったと思います。

 

 

初めてギターを弾いた最古の写真、当時中学3年生でした。

走り始めたMy Guitar Life

のめり込み

 

クラシックギターを弾き始めた僕は、毎日毎日ギターの練習に励みました。
誰もが経験する「指先の痛み」をこらえるため、軍手をはめて練習した事もありました。尤も軍手をはめていたら音はまともに出ませんが・・・

 

覚えるコードも次々と増えていきます。それでも新しいコードを覚えるたびに、自分が成長していくことを実感し、何の苦にもなりませんでした。

 

ただ一つだけ懸念があったのは、自分の周りにはギターが弾ける人間がいなかった、という事です。本当は自分よりも上手な人に教えてもらうのが、一番の上達方法なのですが、僕は幸か不幸か人から何かを教わるのが苦手なので、例えばギタースクールの通うとか、そういった発想は全くありませんでした。

 

課題曲も徐々に増えていきました。
「神田川」「津軽海峡冬景色」「なごり雪」など、です。前述したバンドの曲だったら、とっくに挫折していたと思います。これくらいの難易度・・・低めの難易度がちょうどよかったと思いますね。

 

最終的にはサザンの「いとしのエリー」が弾けるようになりたかったです。この曲は教則本には掲載されていなくて、よく年末に発行される「今年のベストヒット曲全集」みたいな本を買って探しました。

 

そうするとサザンオールスターズの曲目の中に「いとしのエリー」ありました。
当然それまでの練習曲と比べると格段に難易度は上がるのですが、それでもゆっくりゆっくり弾いては止まり、コードを確認してまたゆっくりゆっくり・・・これの繰り返しで、何とかワンコーラスくらいならば「いとしのエリー」

 

弾けるようになったのです。

 

 

当時はCDプレイヤーも持っていなくて、カセットテープで練習していました。

 

初めてのアコースティックギター

 

クラシックギターで初心者用の大体の事が出来るようになったのが、ギターを始めて1年くらい経った頃だったと思います。そろそろちゃんとした新品のギターが欲しいと思うようになりまして、当時時給650円のバイトを2週間ほどしまして、
稼いだお金でアコースティックギターを買いに行きました。

 

で、選んだ基準としては前述した長渕剛の「シングルカッタウェイ」の「黒い」ギターを欲しかったので、出来るだけそれに近いギターを買いに大須の楽器屋さんに行きました。その時点で長渕が使っているギターはヤマハのエレアコだという事も知らずに、買ったギターはオベーションの偽物みたいなエレアコでした。35000円だったと思います。

 

エレアコを買っても、繋げるアンプなりPAがない事にはあまり意味がないのですが、そんなことは関係なく、とても好んで弾いてました。ボディーの裏が亀の甲羅のように丸い事が不思議だったのですが、あれは残響音をサウンドホールに集めるための角度がついていると知ったのは、随分あとの事です。

 

ネックがかなりRのキツイV型で、コントロールはボリュームとトーンしかなく、でも良い音だったと思います。

 

 

高校生の頃、当時無断でギターを持ち込んでは、よく弾き語りをしてました。ちなみにこの頃はハーモニカホルダーも購入して、ブルースハープも演奏できるようになっていました。

 

高校3年生、初舞台

 

僕の通っていた高校には11月に文化祭があって、そこで音楽の枠・・・バンドがほとんどでしたが、誰でも出演出来ました。この頃にはかなりテクニックも身についていて、どこかでそれを披露したいと思っていました。

 

そこに文化祭の開催があるので、思い切って出演することにしました。友達にも手伝ってもらい、舞台の準備をして当日に臨みました。当時から歌詞を覚えるのが苦手で、譜面台とか音楽部のものを無断で使用しました。ついでと言っては何ですが、せっかくのエレアコなのでギターアンプに接続して演奏したいと思いまして、これも音楽部の(たぶん)ベースアンプを勝手にステージに持って上がりました。
演奏したのは
・シリアス(長渕剛)
・天然職の化石(さだまさし)
・空缶と白鷺(さだまさし)
の3曲でした。特に空缶と白鷺はかなりアルペジオが難しい曲なのですが、当時は難なく弾きこなしていましたね。ただ一つ大きなミスを犯しまして、曲が盛り上がり過ぎて、3mのシールドがブチっと抜けてしまいました。

 

これは最大のミスでしたね。落ち着いて接続し直して演奏を続けましたが、かなり凹みました。

 

それでも歌い終わり、緞帳が下がり出した時になぜかアンコールの大合唱が・・・!
そんなにして僕の歌が聴きたい?
見物客が「巡恋歌(長渕剛)、歌ってくれー!」と叫ぶので、この曲は歌詞カードが無かったのですが、思い切ってフルコーラス、ミスなく歌い切りました。

 

数日後、僕には文化祭の舞台に対する「特別賞」なるものが進呈されました。シールドは抜けるわ、高音が上手く歌えないわで、あまり舞台の出来が良くなかったと思っていたので、かなり気を良くしましたね。自分でも思ったのは

 

案外、舞台って緊張しない

 

という事でした。そのためにはかなり練習しましたし、やはり基礎を疎かにしてはいけないなと、思ったエピソードでした。

 

 

写真部の友達が撮影してくれた、文化祭でのワンシーンです。

 

ついに手にした”エレキギター”

 

文化祭も終わり、自分がギターをどんどん上達したい・・・と思っている最中に、兄が友人からエレキギターをもらったというのです。ちなみに兄はギターは全く弾けません。で、僕としては何とかそのギターを弾きたいと思い、兄に頼んだところ、ほとんど「くれてやる」レベルで貸してもらう事となりました。

 

しかし我が家にはギターアンプがありません。エレキギターというからには、何かエレキっぽいものに電源を差し込んでビリビリ鳴らすものだともっていたので、何か代わりになるものはないかと探していたら・・・ありました。

 

レコードのオーディオアンプです。

 

もうレコードは絶えて久しいので、単なる音楽プレイヤーとなってましたそのステレオに、細いヨレヨレのシールドを差し込みいざLetsエレキサウンド!と思ったのですが、

 

じゃリーンと、前述のエレアコのような癖のない音(クリーントーン)が鳴るばかりでした。「何だよ!エレキギターなんだから、もっとビートルズのような激しい音が鳴るんじゃなかったのか!?」と落胆したのでした。

 

まだネットもない時代です。これは何かが足りない、という事はわかりました。これはやはり本に頼るしかない、と本屋さんに行って「初めてのエレキギター」みたいな本を買ってきました。ちなみにこの本には「なんとかスケール」とか「なになに奏法」とかテクニック的な事は一切書いてなくて、純粋にギター周辺の機材について紹介している本でした。

 

まず、ギターアンプが必要だ。という事でした。それは文化祭の時に音楽部のベースアンプを盗んで使ったことがあるので、わかります。そして必要なのは「歪ませるエフェクター」というものがいる、という事でした。これは全く想定していなかったことで、さすがにこれは家にあるステレオやラジカセでどうにかなるのもではありません。

 

とりあえずどこかの楽器屋さんでそのエフェクター・・・オーバードライブという種類のものを手に入れることが必要だという事がわかったのです。
当時納屋橋に合ったビバ楽器という小さな楽器屋に行き、いかにもミュージシャンっぽい長髪のお兄さんが店員の店でした。「オーバードライブというものが欲しいんですけど・・・」と尋ねると、「ああ、こいつは初心者だな」とすぐに見破られたようで「これがお勧めですよ」とばかりに確かにOVERDRIVEと書かれた小さな箱を買ったのでした。値段は2980円くらいでした。当時としてはそれが高いのか安いのかわかりませんでしたが、高校生の小遣いで買える金額だったことは、紛れもない事実だったと思います。

 

で、さっそく家のステレオの前段にオーバードライブを挟んで、いざエレキギター!

 

ギャリーン!

 

おお!!これぞロックの音!ビートルズの音だ!(なぜかエレキの音はビートルズの音という認識)
ギンギンに歪ませて鳴るその音は、それまでのアコースティック少年をエレクトリック青年に変えるのに十分なインパクトを持った事件でした。そうするとこのエレキギターというものが、何て神々しい、美しいものなのだと、思うようになりました。
当時聴いていた音楽で、浜田省吾の「J・BOY」というアルバムジャケットに、浜省がストラトキャスターを持って写ってる写真があるのですが、それを真似して「俺も今日から浜省だ!」なんて気取ったものでした。

 

この経験が僕をアコースティックだけの世界からエレクトリックの世界に解き放たれた記念の日だったように思えます。

 

 

台湾製と思われるROCKTEKのオーバードライブ。この後同メーカーのディレイも買いました。

 

 

浜田省吾の超名盤「J・BOY」のジャケットの裏の写真ですね。持ってたギターは何となく似ていたのですが、浜省はフロイドローズトレモロに対して、僕の持ってたエレキはシンクロナイズドトレモロでした。と、いうか比べ物にならないほどのスペックの違いが判るまでには、まだ相当な時間を要するのでした。