SHADY DOLLS時代

SHADY DOLLS時代

SHADY DOLLS時代

きっかけは先輩社員からの誘い

 

2000年代に入りまして、当時まだ読んでいた「BANDやろうぜ」のメンバー募集に自分の連絡先を掲載して・・・今考えると個人情報剥き出しのすごい時代でした・・・バンドメンバーを募集したりしていました。ところが当時僕がバンドの形として演奏できる曲、というかグループはほぼ皆無の状態で、何をしたらいいかわかっていなかったように思います。例外的にRCサクセションが好きだったので、それの募集をかけたりしていましたが、返事は全然なかったです。時代は古くなりますが一度だけバンドの形になりそうだったことがあって、それはバンドブームの一翼を担った「ZIGGY」のコピーバンドでした。数曲耳コピして、1回だけスタジオに入っただけで自然消滅しました。もしこのバンドが続けばまた違った形になったかもしれませんでしたが、その時にはもう横浜への転勤が決まっていて、叶わない事でした。

 

突然、連絡があったのは1998年頃です。
当時働いていた会社の先輩社員から「きよちゃん(僕のあだ名です)、ギター上手いらしいけど、俺のバックでギター弾いてくれないか?」という依頼がありました。当時はまだそれほど親しくはなかったのですが、自分としても良い腕試しのタイミングだと思い、承諾しました。
デビューは大阪でのストリートライブでした。2人だけの寂しい演奏でした。それでも人前でギターを弾く、それに合わせて誰かが歌ってくれるというのは、とても気持ちの良いものでした。

 

バンド結成【3・1/2】

 

2000年1月、横浜で前職を退職し、帰郷を果たした僕は早々に次の仕事を運よく見つけまして、第2の社会人生活をスタートさせたのです。
そんなタイミングに前述の先輩社員(Nさん)から「きちんとしたバンドを結成しないか?」という誘いがありまして、僕としてもバンドはやっていきたいと思っていたので、結成の話はすぐにまとまりました。
他のメンバーはNさんが全て集めてきて、ドラムにMさん、そのMさんの旧友Fさんがベース、サイドギターにはこれまた僕の前職の1年先輩にあたるYさんが参加することになりました。何の曲をやるのかは既に決まっていました。
「SHADY DOLLS」というバンドの曲でした。当初このバンドの名前が読めなくて「シャディードールズ?」と思っていたのですが、正しくは「シェイディードールズ」です。
当然ですがこのバンドの曲はおろか存在すら知らなかったわけで、まずは曲を覚えるところからスタートでした。しかしこの時点で「SHADY DOOLS」のバンドスコアを持ってるメンバーはおらず、結局のところ僕がレパートリーになる数曲を耳コピして、メンバーに伝えるという形になりました。
「SHADY DOLLS」はブルースに根ざしたロックンロールで極端に難しい曲はありませんでした。こうしてバンドとして最小限の形となるメンバーとレパートリーが整ったのでした。
肝心のバンド名ですが、Mさんの発案で「3・1/2RUB」、読み方は「スリーハーフラブ(three half rub)」。人呼んで「三こすり半」の直訳でした。しよーもないギャグでしたが、英語の響きはカッコよかったので、そのまま正式なバンド名となりました。

 

 

 

 

横浜時代に中古で買ったフェンダージャパンのストラトキャスターです。
見た目はとても気に入っていたのですが、トレモロアームを使うと壊滅的にチューニングが狂いました。なのでありとあらゆる対策を取りました。ナットをローラーナットに、そのローラーナットに潤滑剤を塗って、ペグをシュパーゼルのロックナットに、トレモロユニットをESPのフリッカーⅢに・・・
しかしほとんど効果はなく、段々このギターに対する愛着がなくなってきてしまい、しまいにはパーツだけ取って、バラバラにして長年部屋の隅に放置していました。
しかし10数年が経ち、このギターを復活させたいという願望が出てきて、リペアショップに依頼して調整を含めた復元作業がなされたのでした。ついでにリアピックアップをセイモアダンカンのリトル59に交換しました。
調整が功を奏したのか、はたまた僕のトレモロの使い方が上手くなったのか、アーミングをしてもほとんどチューニングが狂わないギターへと変貌を遂げました。今ではメインのエレキギターの1本です。

 

充実したバンド活動と合宿

 

ほぼ毎週のように名東区のスタジオに通ってスタジオ練習してました。
ただまったくギターの知識がなく、デタラメにギターを弾いてました。スケールなどはまったく知りませんでしたし、勘で弾いているような状態でした。で、バンドとしてもう少しレベルアップを図りたいと、バンドでの合宿を企画しました。
実は前年にNさんと二人だけで白馬にあるスタジオ兼ペンションに泊まって練習した経験がありました。
そこに今回はバンドで行こうじゃないかという話でした。

 

ベースのFさんは不参加でしたが、残りの4人とで、白馬へ向かったのです。
人里離れた山の中のペンションだけあって、スタジオで鳴らすバンドサウンドは爆発的なものでした。とても充実したものとなりました。
ただ、上記で触れたように全くギター演奏の理論がわからなかったので、そのペンションのマスター(プロのギタリストでした)にペンタトニック、メジャー、マイナースケールを教えてもらって、そこそこのテクニックが身に着いたのです。
で、そこで小さな事件がありました。
調子にのった僕たちは、スタジオのロビーにあるライブスペースで「演奏させてくれ」と頼んだのです。マスターは君たちのレベルでステージに上げるわけにはいけない、と断ってきたのですが、「それでも俺たちは演奏したい!」と生意気にも頼んだので、「じゃあ、演奏してもいいけど、マイクとかアンプとか使うのは無しね」という条件を突き付けられました。
ボーカルのNさん、アコギの僕、ドラムのMさんの3人で1曲演奏しました。もちろんマイクもアンプもないですから、どうしてもドラムの音が大きすぎて、アコギとボーカルの音はほぼ聞こえないわけです。
それを見てマスターが「そんな演奏ではドラムしか聞こえない。どうしたらバンドサウンドになるか、よく考えなさい」と諭されたのです。

 

これに縮みあがった僕たちは、次の日もその話を意識しながら、音量やプレイスタイルを追求していきました。おそらく僕らが一番技術的に向上した時期だったと思います。こうして充実した練習を終えた僕たちは帰路に着いたのでした。

 

 

世界的に有名なエフェクターのひとつである、アイバニーズのチューブスクリーマーTS-9です。この頃は前述のシュレッドマスターをこれを使ってブーストさせるという、現在ではなかなか贅沢な使い方をしてました。当時の音楽雑誌にもこのTS-9で歪みエフェクターやアンプをブーストさせるという使い方は紹介されていましたので、それを真似て使っていたのでした。
ただあまりその魅力に当時はあまりわかっていなくて、またフットスイッチの踏み心地があまりよくないと思って、しばらく使った後売ってしまいました。後年、その魅力を必要として買い直しました。不滅の名機です。

 

 

 

前述のアリアプロのファズに続いて買ったのがこのファズでした。何かしらファズに興味を持っていて、どんな音が鳴るのかと期待して買ったのですが、「ブーブー」言ってるのはアリアプロと同じ。「何じゃこりゃー」と落胆しました。で、アンプに繋いで音を出すとものすごいノイズ・・・「これは使い物にならない」とすぐ売りました。しかしこの時はゲインを最大にしつつアンプも最大限に歪ませていたのでノイズが出るのは当然ですね。要は使い方をわかっていなかったという事です。後年別のファズに興味を持って、色々買い漁るのですが、ひょっとしたらまたこれを買い戻すのかもしれません。

 

3・1/2RUBのライブ活動

 

合宿を終え、スタジオ練習を続けていた3・1/2RUBですが、あまりライブ活動については意欲がなかったです。あまり自信がなかったというのが本当だったと思います。合宿で突きつけられた厳しいアドバイスがあって、怖くなったのかもしれません。
それでも段々自分たちもライブが出来るかもしれない・・・と考えるようになってきました。

 

ある日、藤が丘のとあるライブバーから出演依頼があり、急遽ライブの為の練習を始めました。
選曲やステージの構成など、細かいところまで詰めて、初ステージを迎える事となりました。

 

ライブ自体はメンバーの関係者だったようで、たくさんのお客さんが来てくれました。1部はアコースティックでブルージーな曲目。2部はロックンロール主体の明るい曲目で臨みました。

 

今でも動画が現存しているのですが、あらためて見るとそれまでの自分とはかなり違った、テクニカルな部分もある、上達ぶりがわかりました。粗削りではあるのですが堂々と正確なピッキングで聞きやすいプレイでした。今見ても技術的にもその佇まいも遜色ない、良いものだったと思います。

 

こうして3・1/2RUBの初ライブは大成功でありました。

 

野外ライブと自然消滅

 

3・1/2RUBの活動はそれからも練習に明け暮れるのですが、ある日こんな話が舞い込んできました。
「野外でのライブ参加」
バンドメンバーは色めき立ちました。やはりライブの魅力は何物にも代え難いものがあります。練習にもさらに力が入るのでした。
場所は岐阜県の根ノ上高原。山の中の公園でした。そこでの野外ステージで我々3・1/2RUBの出番を待ったのです。

 

そうしてステージを迎え、僕を含めメンバー全員が卒なく演奏を終えることができました。お客さんは散発的でしたが、それでも数十人のお客さんの前でギターが弾けたことは、とてもいい経験となりました。

 

そうしているうちに僕に子供が生まれたりして、段々と活動は活発的でなくなっていき、これといった理由もなくバンド活動は自然消滅していきました。

 

 

ジムダンロップのクライベイビーGCB-95です。前述のアリアプロのワウペダルよりも、もっとちゃんとした物が欲しいと思い、購入に至りました。標準的な良い音だったと思うのですが、よく言われる「クライベイビーを繋ぐと、音が痩せる」というのが段々気になってきて、あまり使うことなく手放しました。後年また同じものを買うことになるのですが、ほとんど使うことなくメルカリで売ってしまいました。あまりワウは僕のスタイルに合わないのかもしれません。